幼少期と写真家としての黎明期
- 生年月日:1868年2月16日、ウィスコンシン州ホワイトウォーター
- 両親:アサヘル・“ジョンソン”・カーティス(牧師、農夫、南北戦争退役軍人)およびエレン・シェリフ
- 兄弟:ラファエル、エドワード、エヴァ、アサヘル・カーティス
- 父の苦難による幼少期の困窮により、家族はミネソタ州へと移住することとなりました。
- 小学6年生で学校を退学しましたが、早くから写真への強い関心を示し、自らカメラを製作するほどでした。
- 1885年、ミネソタ州セントポールにて写真師としての修行を開始しました。
- 1887年にはワシントン州シアトルへ移住し、写真スタジオを設立。当初はラスムス・ロティ、後にトーマス・ガプティルと提携して活動を展開しました。
北米インディアン・プロジェクト
- 原点:プリンセス・アンジェリン(キキソムロ)をはじめとする先住民の初期の肖像画に触発され、カーティスはアメリカ西部の先住民族の文化と伝統を記録するという、壮大なプロジェクトへと乗り出しました。
- 資金調達:1906年、J.P.モルガンから7万5千ドルの資金を獲得。これにより、約1,500枚の写真を用いた全20巻のシリーズ制作が可能となりました。その見返りとして、モルガンには25セットの作品と500枚のオリジナルプリントが約束されていました。
- 規模:このプロジェクトは単なる肖像画の収集に留まらず、伝統的な衣服、住居、儀式、食文化、娯楽、そして口承史といった民族学的な詳細を捉えることを目的としていました。カーティスは先住民の言語や音楽をワックス・シリンダー(蝋管)に1万件以上も記録し、80以上の部族から4万枚を超える写真画像を収めました。
- チーム:ウィリアム・E・マイヤーズ(執筆)、ビル・フィリップス(ロジスティクス)、フレデリック・ウェッブ・ホッジ(人類学者兼編集者)らによる専門的なチームを編成しました。
- 出版:当初は5年間の計画でしたが、プロジェクトは20年以上にわたり継続され、最終的に222セットもの完全な作品群が出版されるに至りました。
カーティスの写真様式と技法
- ソフトフォーカス:当時流行していたソフトフォーカスの美学を取り入れることで、夢幻的な質感を持つイメージを創り出しました。このスタイルは芸術的な美しさとして称賛される一方で、先住民の生活の現実をロマン主義的に美化し、覆い隠してしまったのではないかという批判も受けています。
- 大判写真:フォトグラビア印刷に適した高品質なネガを制作するため、大判カメラを使用しました。
- フォトグラビア印刷:繊細な階調の変化や質感を捉え、写真を詳細に再現することを可能にした高度な印刷技法です。
- 演出と協働:カーティスは部族の真正な生活を記録することを目指しましたが、一部の批評家は、彼のイメージが西洋的な芸術的慣習によって演出されたものであると指摘しています。しかし彼は先住民のコミュニティーと協力し、伝統的な場面を再現する際には彼らの知識や助けをしばしば借りていました。
遺産と歴史的重要路
- 先住民族文化の保存:同化政策や西進運動によって多くの伝統が急速に失われつつあった時代において、カーティスの作品は先住民文化の貴重な歴史的記録としての価値を持っています。
- 複雑な評価:彼の遺産については現在も議論が続いています。先住民を記録しようとしたその努力を称える声がある一方で、プロジェクトに内在する「植民地主義的な眼差し」や、誤解やロマン化を招く可能性を批判する声も存在します。
- 民族学的写真への影響:カーティスの野心的な規模と緻密な記録手法は、後世の民族学的写真家たちに多大な影響を与えました。
- 展覧会と評価:彼の作品は国際的に展示されており、1973年にはフランスのアルル国際写真祭でも紹介されました。
- 逝去:1952年10月19日、その生涯を閉じました。
写真を超えて:映画と晩年
- 初期の映画制作:カーティスは、早くも1906年には映画制作の実験を開始していました。
- ヘッドハンターの地にて(In the Land of the Head Hunters) (1914年):クワキウトゥル族の生活を描いた長編映画であり、先住民のみのキャストで構成された最初期の映画の一つとして特筆されます。
- キャリアの後半:『北米インディアン』の完成後、カーティスはハリウッドへと舞台を移し、肖像写真家および宣伝用スチール写真家として活動しました。
